2010年10月、a-haファイナルまで2ヶ月となったロンドンで、ベスト盤アルバム(
25 。
日本盤 のみファン投票で中身と曲順を決定)のプロモーション(サイン会&ギグ)とロイヤル・アルバート・ホールでのシンフォニーコンサートがありました。
ロンドンは国際的な成功を目指した3人の最初の拠点。YouTubeでマグスがその場所を案内していたので、イベントの合間に地図とバス&地下鉄の路線図をチェックして見てきました。
最初にポールとマグスが住んでいた通り、(マグス1人かポールと2人かはよく分かりませんが)バイトしていたパブ、うまくいかなくて一度ノルウェーに戻り、モートンと3人で戻ってから住んでいたフラット。
2010年に聞いたラジオインタビューの中で、モートンがBBCで“
ノルウェーを出た時はまだa-haじゃなかった。イギリスでa-haになった。 ”と言っていたので、このフラットが正にa-haのスタート地点だったんだと1人で感動していました。
後でa-ha友達のアルバムに同じ風景を見つけ、やっぱりみんな考えることは同じだなと思わず笑ってしまいましたが。
2010年12月4日にオスロで行われた
a-ha最後のライブ (日本では輸入盤のみ)でStay On These Roadsの前にマグスも話していました。“
27年ほど前、自分達の信じる音楽だけを手に街を離れたノルウェーの若いネズミ3匹のことを、今は容易に思い起こせる。ろくに散髪もしなければファンションセンスも・・・ ”
(ここで頭が薄くなってきたことをよく言われるモートンが
“今は散髪なんてしないよ。髪がないもん! ”と突っ込んで笑わせてくれましたが、その後に“
けどまだここにいるよ。あと1時間ぐらいは。 ”と言っていたのは寂しかったです・・・会場では聞き取りにくかったですが。)
マグスの言葉は日によって少しずつ違っていたけど、全く違うタイプの3人がとにかく音楽で食べて行くにはロンドンに行くしかない、オーディエンスがいなければ成功できない、という共通の信念を持ってロンドンに渡り、多くのファンに見つけてもらえたことを、いつも感謝していました。
フラットでは1つの電球しか使えず部屋を移るたびに外しては次の部屋に取り付けたり、ヒーターを使えなくてキッチンのオーブンで暖まったり、コインを入れないと電気が使えなくて同じコインを使い回したり、といった苦労話は初期の頃に雑誌で見ていたけど、この番組でモートンが電球の話をしていたので本当にいろいろ大変だったんだと思います。
それでもヒットが出なくて生活できなくなり、スタジオに泊まり込んで誰もいない夜に音楽を作り続けていたそうです。
YouTubeの動画でPart 1の07:08ぐらいからとPart 2の最初を見ると今ならネット検索ですぐ場所が分かるようになっているので、a-haファンにとっては聖地訪問のようなものかもしれません。
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2010年の夏、a-haのファイナル以外にもイギリスでのイベントについて発信されましたが、a-ha.comのニュースはトピックが全て日本語になっているわけではないからか、日本人で知っている人は少なかったようです。
The Hut Projectというのは、ロンドンから電車で30分ほどの所にあるハンプトン・コート宮殿の庭に、平均寿命39歳、人口の4割がHIV+、日々の生活自体が大変なアフリカの貧困地域の住居と同じ小屋を建てて寄付を募るというプロジェクトでした。
http://a-ha.com/news/articles/the-hut-project/
a-ha.comのニュースは7月15日付、寄付を呼びかけるツイッターは7月17日に2回発信された。
2010年10月8日のシンフォニーコンサートではa-ha最初のアルバム(
hunting high and low )と2枚目(
Scoundrel Days )を順番通り全曲演奏したのですが、ロンドンの前に同じスタイルで行われたオスロでのコンサートは、
Mercy Ships という医療援助の必要な所に派遣される病院船の支援活動のために行われました。
a-ha.com日本語ページでThe Hut Projectが紹介されなくて残念でしたし、環境保護や国際問題への取り組みが日本でほとんど紹介されないことで、いつまでもa-haが見た目だけの軽いバンドのように扱われるような気がして寂しいです。
(2010年は
hunting high and low と
Scoundrel Days に別バージョンや未発表音源を付けたデラックス版が発売されましたが、リリース1週目にビルボードのネット販売チャート
トップ40に入ったニュース も日本語にならなかったようです)
ただ日本のロック雑誌にしょっちゅう載っていたデビュー直後の頃はインタビューに環境の話はよく出ていたし、最後の来日でカーマガジン(
http://www.hobidas.com/blog/car-mag/ura/archives/2010/08/a-ha.html 、
http://www.hobidas.com/blog/car-mag/ura/archives/2010/10/a-ha_1.html )が話を聞いてくれたのは初期からのファンにとって嬉しいことでした。
・・・このブログを書きながらオリンピックを見ていたら(オリンピックを見ながら思いついたことを書いていたわけですが)、シンクロナイズドスイミングでイギリスのペアが
ペール・ギュントの曲 を使っていました。
どこで何がつながるか分かりませんね。
ついでなのでもう1つ。
ロンドン五輪の開会式で
Mr.ビーン (
ローワン・アトキンソン )がロンドン・シンフォニーと競演(?)していましたが、a-ha貧乏生活エピソードの“コインを入れないと電気が使えない”という意味をストレートに理解させてくれたのが、実はMr.ビーンでした。
http://www.youtube.com/watch?v=5dgd13bxqE0
ローワン・アトキンソンは今でも大好き(90年代半ば頃は日本でもTV放映があったし、レンタルビデオがVHSの時代は
ブラックアダー やシン・ブルー・ラインもあって楽しかった)なので、開会式も思いっきり笑わせてもらいました。