2012年7月9日

4月14日付Aftenposten

6月30日はドイツのサマーフェスティバルにモートンがソロで出演した。
オフィシャルサイトの情報では日本時間の2:20am頃パフォーマンス、3:45am頃にはインタビューの予定だったけど、結局開始は30分近く遅れ、4:30am過ぎまで待ってみたけど残念ながらインタビューはありませんでした。

パフォーマンスの方は思った通りウェブサイトで見られるようになり、YouTubeにもアップされていました。


セットリストは新曲とa-haが5曲ずつ。

Burn money burn
I’m the one
Keep the sun away
Move to Memphis (a-ha)
Forever not yours (a-ha)
Lightning
We’re looking for the whales (a-ha)
Stay on these roads (a-ha)
Scared of heights (ここで時間切れ。ちょっとやりとりして最後の1曲に)
Foot of the mountain (a-ha)

a-haの曲を歌うことについては以前インタビューの中で本人が話していたことがあるので、長いですがついでにそのインタビューもまとめておきます。


4月14日付Aftenpostenのインタビュー

ドイツにいた4日間でどの都市を訪問したか?
- 分からない。
どのラジオ局で話した?
- 覚えてない。
分かっているのは疲れ切っている、ということだけ。プロモーション活動については、首に鎖付けて雇われたようなもの、と言います。
タブロイド紙に必要なもう1枚写真を撮ったら終了。ポールやマグスとはうまくいってないんじゃないか、とか、Take on meを歌う時はどんな気分か、などと聞かれることのない家に帰れる。


ハンブルクの植物園で;
- 作りもののジャングルにいるサルみたいにポーズを取るようなことはしないよ。80年代にやってきたし、自然に見えない。
カメラマンにそう言い、しかめっ面で新聞の背景になる密集した植物を見た。

- こういうのは好きじゃない。気持ちが10年も年を取るように感じるよ。
(中間的な解決策として)植物の間を通り過ぎ、じっと立とうともカメラを見ようともしない。
笑ってくれる?-カメラマン
- 写真撮れば
じゃ、笑って
- 笑わないでって言ってよ。僕は君に言われて歌ったり踊ったりするタイプじゃないんだ。

ハンブルクでの18時間前、彼のマネージャー(Harald Wiik)からハイアットホテルに21:30に来るよう言われていた。部屋番号425に本人がいるのでフロントで呼び出し、何か問題があればマネージャーに連絡する。
(フロントでのやり取り)
 425号室にかけていただけますか
 どなたとお話しされますか
 モートン・ハルケットです
フロントは画面を確認し、その名前の人ではないと言ったのでマネージャーに連絡。
(マネージャー)彼は違う名前で泊まっているけど、絶対その名前は明かさないで。
確認が取れたフロントが部屋を呼び出すと、電話口から聞き慣れた声が応えた。


新しいアルバム、Out of my handsのレビューはどのメディアもあまり良くなかったが、モートンにあまり読んでいる時間はなかった。最初のソロツアーはシベリアを皮切りにロシア、ベラルーシ、ドイツ、スイス、ベルギー、フランス、イギリス。夏が終わればオスロ、ブラジル、アルゼンチン、チリが控えている。どれもa-haが強かった地域で、モートン1人ではどうなるか?インタビューの時間を取ったメディアはどこも1982~2010年のバンド活動があったのが理由。モートンのウェブサイトにはThe voice of a-ha。


マネージャー: 2012年に世間がa-haのいないモートンを受け入れられるかどうかは分からない。反対意見はあるだろうけど、私達はできると思っている。
本人: どこかで始めないといけない。他の2人がいない僕を見るのが難しいことは分かっている。a-haの曲をするとすればポールやマグネと一緒じゃない。自分の曲だけでツアーに出られるか?
数ヶ月後には質問が変わる。a-haのヒットは何曲するか?どの曲をするか?
彼の曲選びの基準は自分の存在、a-haの存在、多くの人の期待を、それぞれ尊重すること。
-曲によっては他の曲より気分良く演奏できる。Stay on These Roadsは曲作りに大きく関わったから楽だけど、Hunting high and lowは初期にポールが作り、自分にとっては3人の力を明確に示したもので、背景には物語もある。みんなで演奏していた時、マグネがものすごくきれいな間奏を作ったんだけど弾いたらそれを忘れちゃったとか、そんなこと。多くの人がこの曲と僕の声を関連づけているけど、(ソロで)すべきかどうかは分からない。
Take on meは?
- それは楽。僕にとってこの曲は他と違う。曲そのものが独立した25年間を生きてきた。

Out of my handsの1つはEspen Lindのヒット曲、Scared of heightsのカバー。スウェーデンのKent(Kärlekens won)を英語バージョンでカバーした曲もある。それでは足りないかのように、Pet Shop Boysから贈られたListening。Pet Shop BoysのWest End Girlsは、1984年にa-haがロンドンに行った頃、あらゆる場所で流れていた。
- Pet Shop Boysの曲はどうしたってレコーディングしたよ。楽しかった。
ノルウェーやスウェーデンの曲をカバーしたり、イギリスから提供を受けたことについて、選択肢が少なすぎたり、もっと個人的なものにしようと苦労したか? - いいスカンジナビアの歌をより幅広いオーディエンスに届けられるかも、さらにa-haではないモートン・ハルケットを受け入れてもらう最初のきっかけになるはず、と話していたそうです。
話を終えたのは真夜中。彼がフリーになるとすぐ女性2人が飛びついてきた。彼は何度かハグをして、それから部屋に戻った。


翌日はメイクアップアーティストのOut Methaに塗ってもらうことからスタート。Methaは80年代半ばにモートンのポスターを貼っていて、“素晴らしい仕事に就けた”と話し、その日はスーツケースを持って彼に付いて回りました。フロントに出ると10~12人の女性がエレベーターの所で待っていて口々にモートンの名前を呼び、サインをもらおうとする人もいたが、そんな時間はなかった。
ラジオ局に向かうミニバスの中で;
- やれる以上やった。何時間も立ってサインもするけど通り過ぎてもトラブルはない。誰でも平等にするよ。要求に対応しきれないことは、自分ではどうしようもないことだと受け入れたんだ。
どこででも気付かれる?
-いつもだよ。見えないことが多いけど、僕は首に目があるからたいてい避けられるんだ。
母国では安らぐと言うアーティストも多いけど、オスロは安らげる?
- どういう意味かによる。みんなが見ている中、1人座っていられるということならYesだね。有名になれば社会から出て、コミュニティはその人を傷つけて違った目で見る。有名になれば代償は大きい。今は違うけど、そういうものだよ。
自ら選んで(a-haだと)すぐ分かる声を持つ見事な看板として参加したa-haは世界を席巻し、次から次へとヒットを飛ばすことができたが、外見とアイデンティティの問題でもあった。ノルウェー人トリオを襲ったのは全く望んでいなかった絶叫する10代の女の子、失神、ハグだったが、現在52歳で典型的な笑いじわがあり、髪の薄さが目に見えるようになってもやはりモートン・ハルケット。どうやってその外見を維持しているのか?教えられない。(特別何かをしているわけではなく)自分で荷物を持って出かけるのが好きで、庭で落ち葉をかき集めれば簡単に筋肉が付くらしい。
運がいいね。
- それだけだよ。インタビューで何度も体のことを聞かれて話さなきゃいけないけど、気恥ずかしいよ。水から出てくる筋肉質の体をアルバムジャケットに使ったのもかなり恥ずかしいだろうけど、女性の非難はない?
- あまり肌(の露出)はないよ。もっと彫刻っぽい形。

ラジオNDR2は毎日200万人以上の人が聞いている。彼が入るのを見ようと女性2人が階段の手すりから身を乗りだし、男性スタッフの1人はサインを求めた。その数分後、収録が始まった。
a-haのもう2人とはどう?(最初の質問)
みんな聞くし、僕達の間にある敬意や愛情を忘れている。彼らは言葉もなくヨーロッパの半分ぐらい駆け抜けられたし頑固で決意も固いが、Hunting high and low,、Scoundrel Days、Manhattan Skyline、Living a boy's adventure tale、Life Lines、締めくくりとなり、ブリティッシュチャートで5位に入ったFoot of the Mountainを作り上げたこととは別に、バンドの不和で、これ以上一緒いるのが耐えられなかったか。3人のうち1人でもa-haを続けたいと思わなかった?1日で山のように質問された中で、モートンはこれだけ答えようとしなかった。
-そんなことに集中されて疲れ切ってるよ。
コンテストに当選した3人とプログラムマネージャーとの写真撮影があり、伝票にするのと同じように写真や本にサインして別のインタビューに移った。

a-haと過ごした最後の夜はどうだったか。モートンは子供達のこと(みんな自分が誰かは知らないけど、何をするか選ぶことで、自分はこういう人間じゃないと分かっている。)、お金のこと(僕は他のものを信頼するよ。リストそのものはいらない。自分を変えてしまうから。)、気候について(世界が嘆いている。文明は崖っぷちに向かっている。)話した。
モートンは“霧の王子”と呼ばれている。パロディーにされ、冷笑との境界にいる。彼は絡み合った長い思考から話すことが多く、聞き手の注意を必要とする。インタビューしているうち、インタビュアーは彼の目に戸惑いながら、Take on me、ポールやマグネ、ソロアルバムの話を聞こうとする。最後にはうまい言い方だとかいい考えだとか言って終わるか、翌日の新聞に哲学的ハルケットと書いたりして、“僕の話聞いてる?大切なことだよ”とでも言っているような52歳は去っていく。


ここに1時間以上のテープがあるが、“霧”ではない。地球がどう今のようになったか、無から今私達が知っているような文明につながる可能性が全くなかったとしたら - 無から何かになったものは1つしか知らない。歌だよ。人は1日に6千億、1秒に1千万の細胞が死ぬと書いたハンガリーの哲学者、アーヴィン・ラズロ(Ervin László)の話を出した時、彼は少年のように熱心だった。極地で氷が溶け、温暖化が進んでいることを心配し、片付ける時間はわずかしかないかもしれないと懸念している。霧?違う。Take on meのように市場性が高いとされているだけ。そうじゃない。


NDR2を出る所でウェブサイト用ビデオインタビュー。 質問:Take on meを演奏する時の気持ちは?答:座って食べる時、どんな気持ち? 質問:歌ってくれる?答:嫌た。命令されて歌うことはない。僕はメルセデスのエンジニアじゃないし、配管工でもない。インタビューされる時は、引き寄せる感じ。相手がするなら歌うし踊る。 
階段で彼がつぶやくのが聞こえた。お願いマイケル・ジャクソン、ムーンウォークはしないで。


ハンブルクで
彼は最低限の付き添いとドイツ中を回った。ユニバーサル・ドイツの広報担当、VIPガード/ドライバー、ノルウェーから同行したのはマネージャーのハラルド(Harald Wiik)のみ。2人は異なる経歴を持つ。ハラルドは以前ドラマーで、1986年、Take on Meが米ビルボードのトップになった翌年にMoney Talksというバンドとロサンゼルスに渡った。モートンとa-haは裕福で有名になり、Money Talksは落ちる一方。1999年にポール・ワークターのバンド、Savoyのマネージャーになり、2005年にはa-haを引き継いだ。ウィンドブレイカー姿、バックパックを担いだ46歳の彼は、アーティストの後ろを付いて行くが、気まずくはない。モートンがエスペン・リンド(Espen Lind)のScared of heightsをレコーディングしたのはハラルドのアイデア。オスロでのコンサートが記念すべきものになると気付いた時、以前のa-haメンバーに電話しまくり、24時間以内に連絡するよう言ったのも彼だった。私(記事の筆者)もそれで自分達も一緒だと返事ができた。

3人とも“Yes”と即答した。

彼はミニバスの後ろに座ってツアー最後のインタビューに向かったBild紙がレーパーバーンでモートンに会うことになっていた。植物園でモートンは花に興味を示した。
どうして花が好きなの?
- 同類だから。
(疑うように)神様を信じてる?
- 君はウサギみたいに飛ぶんだね!まずは話している神がどういう存在なのか一致しないと。この蘭は混ざっていて本来は一緒じゃない。
“サル”のイメージの後、モートンは撮られるのをかなり嫌がった。車のシートに沈み込んで満足し、プレゼントされた真新しいギターと移動。VIPエントランスを入ると、係の女性はギターを機内持ち込みにできることを確認した。


彼は2008年に一緒になったガールフレンドのInez Anderssonと娘のKarmen Poppiが待つ家に帰る。彼には3人の女性との間に5人の子供がいる。ややこしくない?
-何でも関わっているのが誰かによるね。考え方次第。子供達がどういう状態かが問題で、大人の側はコントロールできる。
別れは辛かった?
-楽だったことはない。正しい方法だと思ったから解決に向けて頑張れたけど、関わった誰に対しても同じじゃない。
家族はがっかりだろう。ミュージシャンとしてノルウェーのプレスはインタビューを予定しているし、彼はまたドイツに行く。


(モートンとハラルドの)2人が並んでいた時、ハラルドが言った。“いい空港だね”
- テーゲル?
モートン、ここはハンブルクだよ。ベルリンじゃない。

週末には新曲を抱えてチャーターでシベリアへ。質問への最初の答え:人々はまだモートン・ハルケットを見られるか?
- 自分がなぜモートン・ハルケットでいたか、には理由がある。しばらくは突然新しい自分が出てくることはないだろうし、角を曲がっただけで新しいモートン・ハルケットじゃない。だから当分そのままでいるよ。