2012年5月13日

BBC、FM802!

モートンのソロシングル、Scared of heightsが、昨日(11日)の朝ついに日本のラジオでオンエアされました。
私は聞けなかったのですが、大阪のFM802でかかり、ツイートされたことをFacebookで教えてもらいました。日本のラジオはオンラインでも地域が限定されているのですが、近畿圏であればラジコでFM802を聞くことができ、番組ホームページからリクエストもできます。

タワーレコードでも在庫ありの状態になり、少しずつ日本にも入ってくれるのはかなり嬉しい。iTunesや日本のユニバーサルでも出してくれるともっと嬉しいんですが・・・

ヨーロッパツアー最後の国、イギリスに入ったモートンはBBCの番組に出演しました。
ドイツ語やノルウェー語は直接理解できないので、本人の言葉がそのまま聞けるのは嬉しいです。




新しいアルバムは娘も気に入ってる。
プロセスはかなりタイトで(a-ha解散後の)3月までには決め、レコード会社やマネージャーと話し合い、5月には曲の準備にかかった。10月から12月まで集中的にレコーディングをした。
Listeningはアルバムを作っていると知ったPet Shop Boysがくれたから、僕は“Thank you very much.”と言った。(と笑う)
書いてて自分より他の人に合っているかも、と思うことがあるから、たぶん彼らもそう思って僕が気に入るかどうか聞いてくれたんじゃないかな。提供されて光栄に思ったのと曲が良かったから受け取った。
(80年代、a-haとして最初にベルファストに言った時のことを聞かれて)
かなりワイルドだったね。
ベルファストだったと思うけど、モニタリングの故障でしばらく自分の声が聞こえなかった。ステージで自分が何をしているのか感じられ、聞こえなくてもできることが分かった。
予定表には入っていないけど、アイルランドもまた行きたいと思っている。
(ポールやマグスとは連絡を取り合ってる?)
いつもと同じ。寝る前におやすみのキスをするわけじゃないし、話す時に話す。
(1人で続けるのは?)
答えられるのはもっと後かな。まだ十分に活動していないから。
今までもステージではそれぞれが1人だったし、同時にチームワークも必要。



5月10日夜のBBCラジオインタビューの内容

シングルScared of HeightsはEspen Lindが書いた5年ぐらい前のヒット曲。
プロデューサーのハラルドが提案した。
英語でのソロは1995年が最初。
a-haを解散したわけではなく、離れる必要があったので休止したが、自分で曲を書きたいと思った結果がWild Seedだった。
その後a-haに戻り、10年間集中してまだ動いている時に出したソロはうまくいかなかった。a-haのリードボーカルに専念する必要があり、違う方向を目指すことは難しかった。

今回のアルバムは今までと同じ枠組み、Foot of the Mountainと同じやり方で作り、Wild Seedの精神的側面とFoot of the Mountainの音楽的方向性の間にある感じ。

(いい曲を作るポールなしで曲を書くのはどんな感じか聞かれて)
興味深かった。今まで会ったことのない人と組む機会。
まっさらな状態でギターを手に取り、何が起こるか見てみた。
(a-haと同じような期待をされないかという)心配はしていない。マグネやポールが同時に吹き込むものは独特で、別の人が入れば別の何かができる。
自分の声はa-haの声でもあるけど、同じである必要はない。Wild Seedはa-haと違う形になったけど、計画していたわけではなく、そうなっただけ。
今回はa-haの感じに近かったけど、そうなるように考えて進めたわけではなく、そういう結果になった。
(ツイッターでファンから届いた質問に答えて)
スペインやイタリア、アイルランドなど、行きたいところはたくさんあるけど、今はスタートとしてa-haでよく行った所で機械に油を差してウォーミングアップしている感じ。3~4週間してだいぶバンドはまとまってきた。
(a-haの曲もしているけど)マグネやポールがいないから同じにはならない。
(a-haの解散を惜しまれて)
いい決断だったと思う。Minor Earth, Major Skyの時はまだやり残したことがたくさんあった。今は新しいことを試す力がまだあって、人に求められることより人が思ってもみなかったことをしたいと思っている。

※BBCでは聞けなくなりましたが、誰かがYouTubeにアップしてくれました


5月11日朝のTV出演の内容


(a-haで有名になった時のことは)

ある日突然、今までの自分とは別人になって社会から放り出された、というのが実際に起こったこと。心理学的に起こるメカニズム。最初は電車にはねられたみたいで、どうしていいか分からない。自分が変わるわけじゃなく、適応する必要がある。
(a-haのファイナルは)大規模なワールドツアーで大きな年だった。よくできたと思うけど、同時に3人とも元気でフルに動けて他のことを試す時期だったので、a-haとしてはステージを降りることを選んだ。